70年前の昭和20年8月1日午後10時30分 B29大型爆撃機によって私の住む長岡市は旧市街地の8割が焼け1488名の尊い命が失われました。

復興祈願 フェニックス花火

 

尊い命が奪われた長岡空襲の翌昭和21年に、 慰霊と戦災復興の願いを込めて
「長岡復興祭」が開催されたそうです。
長岡市は空襲と中越大震災と幾多の危機を乗り越えて
市民と地域の力で打ち上げてきた大花火大会で
復興祈願花火フェニックスを打ち上げます。
爆撃によって見渡す限りが悪夢の惨状となり
燃え上がる炎の中を逃げまどい、それはそれは言いつくしがたい悲しみと怒りにうち震えながらも
血のにじむような思いで生き抜いてきた先人たちは復興祭によって励まされ、
共に手を取り合い不死鳥のように長岡の街の復興にあたっていったのです。
長岡の復興祭で打ち上げられる「フェニックス」
中越地震の甚大な被害からの復興を祈願し
不死鳥のようによみがえってきた長岡の象徴の花火となりました。
この花火は中越地震で家が半壊となり
当時小学6年生の娘と中1の息子たちと不安を抱えながらも
とても勇気を与えてもらった「Jupiter」の曲と共に
「フェニックス」花火は打ち上げられます。
おかげさまで
今、私達は幸せにこの街に暮らさせていただいています。

未来永劫に続く恒久平和

空襲で亡くなられた方々の慰霊
長岡復興に尽力された先人への感謝
そして
恒久平和が
未来永劫に続きますようにとの想いで
2014年から、8月1日には
復興のお神輿を担がせていただいております。

 

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今年はコロナの影響で
すべての行事が中止ですが
自宅で先人たちに心から感謝の祈りを捧げます。
    

 

フェニックス何度も蘇る平和の祈り復興祈願神輿長岡復興祭長岡復興花火

永井順子

1957年 新潟県 生まれ
これまでの経験や学びから、女性の身体のリズムを取り戻し、自然な美しさと心地よく動けるしなやかな身体を手に入れるため、「どうしたらもっと機能的に快適に日常が送れるようになるのか?」ヒトのカラダが持つ力を引き出すセルフケア・トレーニングを日々探求。女性が今より笑顔で元気になる活動を行っている。